2006年01月06日

スパルタ教育か

スパルタ教育ではない

 私の指導法をスパルタ教育だとする誤解がある。私はスパルタ教育などしていない。私から小言を言われた記憶もない子も結構いるはずだ。私の教え方を、スパルタ教育と誤解するのは、頭がよくない証拠で、そのような程度のよくない洞察力ではよい指導は出来ない。これは本会の門下や保護者などが陥り易い誤解である。

 空手は武道だ、厳しいのは当然だ。このような論理と考え方で、私の指導を真似ようとする馬鹿がいる。そのような指導者や保護者が、勘違いして乗り出して失敗した例は多い。

誤解の元

 私はある特定の事象に対しては極めて厳しい。それが理解できないから、スパルタなどと言う馬鹿が出てくる。私が嫌うのは次のようなことである。
@ふざける
A怠ける
Bちゃらちゃらする
C口数が多い
D幼稚である

 ここにあ挙げた全てに厳しいのではない。このうちの幾つかに対してはかなり手厳しい。特に@のふざける行為は絶対に許さない。これは本人だけではなく、道場全体の雰囲気を壊す諸悪の根源である。ふざける子供と言うのはごく少ないのだが、そのような子がいたときは手厳しく叱る。
 道場内で行なわれる弱いもの苛めなどは絶対に許さない。これは通常は何百人に1人程度しかいないので、これで小言を言うことはまずはないが、いれば手厳しく扱う。これは性格異常者のようなもので、親を見ていれば分かるものである。
 その他、盗癖などと言うのにも出会ったが、これなどは空手教師に対応は出来ない。

 口数が多い、理屈屋である(理論家とは違う)、幼稚だ、などと言うのは、親が子育てに失敗した結果だから、それを子供を叱り付けても仕方がない。そのようなものは直りはしないから、親に注意をして出来るだけ努力して貰うことと、口数が多い子供には応対をしない、相手にしないとか、そのような行為に抵抗与える程度である。

 幼稚な子供は、多くの点で困りものだし、幼稚であることは大きな欠陥だが、これも親の問題だから、子供を叱るようなことはない。道場へ来ても幼児語だったり、酷いのは中学生になっても幼児語だと言う子が何人もいる。親には可愛い子だろうが、これではまともに空手を習えない。過保護、過干渉と言うのもあるが、親が子供を玩具にした結果と言うのもある。

 ここでは、やたらに厳しいわけではなく、無差別に空手を叩き込んでいるわけでもない。こんなことが分からないような馬鹿ではどうしようもないだろう。この辺に後継者を育てられない理由もある。

脅したりすかしたり

 何とか習得させたいと、脅したりすかしたり、小言を言ったり褒めたりと、あの手この手で苦労するkとも多い。ここでもスパルタと言う誤解を招くこともある。このような指導の対象となる子はどう言う子か。

 声が小さい、返事をしない、指示されてもすぐに行動しない、注意力を欠いてよそ見ばかりする、指導者の目を盗んで怠ける、などなど。
 このような行動は、生命力が弱い、気力に欠ける、幼稚である、目的意識がない、などと言うことから起こることだが、多少とも改善に向かえばと、あの手この手で督励する。これがスパルタ教育と映る場合もあるようだ。

教えるのが難しい相手

 これはどうしてもだめと言うのもある。ふざけ癖が付いている。怠け癖が付いている。わがままで自分勝手だ。このような場合は、親のものの考え方とともに、見込みがないとさじを投げる場合もある。
 空手道場は、公立学校ではないし、多様な欠陥を持つ子に対応できるわけではないし、対応する必要もないだろう。

強いものしか相手にしない

 スパルタ教育と言う批評は、能力や知性の低さを感じさせるが、誤解と言うだけのことで、罪は少ない。
 これよりはるかに悪意に富んでいるのが、「成徳会では、強い子供しか相手にされない。」「えこひいきをする」と言う批評である。これは悪意に基づくヤクザ論理に他ならない。




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指導法

 指導法についてもよく聞かれる。これは言葉で話してもよく分からない場合が多い。実際にお見せすると、分かる場合も分からない場合もあるようだ。ある意味では常識的な指導法だし、ある意味では風変わりでもある。試行錯誤も繰り返す。また、私に付いた独特のものもあるようだ。ようだと言うのは確信はないのだが、真似の出来ない呼吸と言うかリズムと言うか、何かがあるようでもある。

 まあ、これは思いつくままに雑纂的に記すより仕方なく、体系的に記述するのは当分先になるだろう。


スパルタ指導か  型の指導法
posted by admin at 18:50| 空手指導法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

登録のお願い

平成18年1月10日

保護者 各位
正統唐手成徳会 三 谷 和 也


都空連登録費徴収についてのお願い


 このことについて、次のようにお願い申し上げますので、よろしくお願いします。
 登録費は、1,000円(1年間)、登録時期は毎年1月、登録申請と同時に納入となっています。つきましては、1月分の会費と一緒に納入して下さい。

 これは、本会、大栄教室、研修会八潮道場ともに同じです。大栄は、従来は対外競技をさせないと言う方針で、登録も行ないませんでしたが、実際には県大会に参加したようで、これは都空連との重大な約束違反となるので、本年からは大栄も東京都へ登録を行ないます。

 本会は東京都の最強道場として、都空連の筆頭に位置する道場なので、そこには相応の責任の自覚が求められます。競技場でのマナーにしても、東京代表として対外競技に望む心構えにしても、口うるさくご注意申し上げていた理由はこれです。この点を十分弁えた行動を期待します。

※都空連のほかに全空連会員登録も必要ですが、全空連会員登録は隔年なので、今年登録が必要かどうかは人によって違います。また登録時期は3月(都大会の申し込みと同時期)なので、今年更新登録が必要な人は、その時に連絡します。
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練習法や練習時間

 よく聞かれるので練習時間や練習法について、概略を述べよう。実際は他の道場(と言っても二、三の友人の道場しか知らない)と大きくは違わない。しかし、これは全く異なると言う点もある。

練習時間
 原則的には、週二日、一日二時間〜二時間半で、一般には少ない方であろう。原則敵にと言うのは、他の道場へ来る子もいるからで、強い子の半数くらいは週三日組、ごく少数だが中には週四日と言う子もいる。

 他所と違うらしいのは、週二日であっても、練習は「自宅練習を含めて毎日」(一年365日の練習)を強調していることだ。ただ、ほとんどの子はこれを守らないようで。そのため、週四日組などの強さが目立つ。これは練習回数が多いほど、自宅練習も多くなるかららしい。

練習時の意識
 ここで、真剣な練習と子供の習い事の大きな差が出てくる。ここに大人の遊びが入ると、口先とはうらはらに、子供の習い事、子供の遊びを助長する。大人による指導などには、特に目を光らせる。遊びと理屈(口先の理屈)は百害あって一利もない。

練習法
 基本(特に基本重視)、型(基本となる型と競技型)、組手(型の考え方に基づく組手技術)と言うようなことで、大きくは違わないだろう。しかし、その中身のニュアンスは全く異なるものもある。その異なる特徴を挙げると次のようなものである。

基本
 突く、蹴る、打つなどを基本(取手は省く)とし、それを徹底する。ここに、他と異なる第一歩がある。移動基本(何の基本か分からない)などは行なわない。「何が基本か」を常に自らに問う。ここも違うだろう。


 基本となる型は二系統で行なう。第一段階は、初心者に対する基本練習を具現する型(平安二段)であり、第二段階は、唐手の平安二段(間に合う原理に従って以後永遠に)と型競技の平安二段(これは初心者だけで、型は同じだが使い方が異なる)の二系統になる。型競技の系統には平安五段が追加される。

 ここで、基本から型へつながる唐手の練習と、それと使い方の異なる型競技練習に分かれるわけで、この競技型と唐手とは、全く無関係で、何の脈絡もないことを明確に理解させて行なう。言葉は悪いが、次のような発言はそれを理解させるための苦心の創案である。

@型は唐手ではない。(唐手は組手だ)
A型と唐手はまったく異なる。(基本から全てを区別する)
B型で勝っても仕方がない、組手で勝て。
C組手は唐手だが型は空手踊りだ。
D私は唐手を教えるが、空手(特に型)は教えない。
Eこの後の三十分は、インチキ空手(型競技のこと)の時間だ。

唐手の平安二段
 「相手に予感を与えない」、「手は足より先」、「突きは首から上、蹴りは膝から下、「突きは三本以上」、「外から内へ」などと言う言い伝えとともに、どうすれば、基本とつながるか。方が教えるものは何か。なぜ型は唐手の基本なのか。と言うようなことを、最終的には教えることになる。

 平安二段とはこれほど奥が深いのかと言う高校生の感想や、組手に型の何が生かされるのかとか、ここ二、三年急増している追突き(本会では競技に参入以来使ってきた)などは、ここから出ている。

組手では
 例えば、踏み込んで中段逆突きを打ち、直ちにステップを踏んで上段を突けば、それは唐手ではない。唐手なら、次のステップの足が付く前に打ち終わっている。

工事中
 

 
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金城一門

研修会とは兄弟会派

 本会は独立会派だが、金城門下を称していて、同じ金城門下である日本空手道研修会とは、しばしば一緒に行動する。もともと仲間だし兄弟会派と言うことで、成徳会は、研修会内の一会派の様相を呈している。これは成徳会が公式に独立を許されたからで、それには、中村 孝現会長、故八田 浩常任理事のお力添えと、金城先生のご好意によるものである。

研修会赤門道場は成徳会と一体

 元々、赤門道場の中村先生と私は親友の関係である。それが空手戦争で、全面的に私を支援して頂くことになった。私が苦境にあったとき、私を支え続けてくれたのが、研修会の金城、中村、八田の三先生方だった。

 そこへ、私がある道場を持っていては、それが敵側からの攻撃の標的となって、持ち堪えられない事態となった。この時は、空手戦争で、二道場を閉鎖し、謀反側を追い出して一道場を分割、さらに、一道場を格下げして、競技力を低下させると言う犠牲を払っていた。敵は、県連盟をはじめ、幾つかの市連盟、門下の指導者や保護者、さらには地方政治家にまで及び、多勢に無勢で、戦線が広くては支えきれない。

 これが、道場の閉鎖や縮小を続けた理由である。形勢が傾けば足元からも寝返りが続出するし、そうでなくても、門下の非協力、見て見ぬふり、他人事指向は頂点に達していた。ここでさらに一道場を放棄することとした。

放棄する道場を研修会へ

 どうせ放棄するなら、活用の方法はないかと、少し気が引けたが、甘えついでに仲村先生に相談してみた。
「私の一道場を研修会で引き取って貰えないか・・・。」
 不安をよそに中村先生は快諾してくれた。金城先生もそれがよいと支持して下さった。そこで一道場を研修会に移管して、戦線を縮小できた。結局、会員数は最終的には半減したが、内部からの謀反が激減したので、防衛は楽になった。

東京都武蔵野支部へ

 武蔵野支部は、中村先生の赤門道場が主力である。研修会へ移管した道場は、赤門道場の主力となった。それなら本会も赤門道場と一緒にやろうかと言うことになり、中村先生もそれがよいと言うことで、成徳会と研修会赤門道場が徐々に一体化し始めた。

 長年の基盤もあり、私が、空手戦争で他所から攻撃されることは、門下にとっても保護者にとっても、内心では喜ばしいことである。それが、攻撃を受けなくなる赤門道場との一体化、武蔵野支部への移籍は、敵側は言うまでもなく、空手戦争で揉まれた門下の指導者にとっても、保護者にとっても、好ましいことではない。

 ここで様子を見ながら、徐々に移籍と言う方法を採ったのだが、これは失敗だった。一挙にやって、従わないものを大量に除名処分をすべきだった。その方が威力があったろうし、簡単に全て終了したろうと思う。この後、平成15年まで、謀反、離脱が後を絶たず、平成17年になっても、謀反側選手が、全日本選手権、国体、インターハイ、全中などで活躍している。ただ、平成16年以後は、謀反も離脱もなく、この二年間は落ち着いている。

 ともあれ、このような次第で、成徳会と赤門道場は一体化して、その頂点にいるのが中村研修会会長、そして最高師範が成徳会会長の私と言う構図である。
 
posted by admin at 04:05| 紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

名称の由来

正統唐手とは

 簡単に言えば、唐手で首里系統であることを現しています。剛柔流も後から唐手になったのですが定着せず、唐手と言えば首里系であると一般に、得に沖縄ではそうのように理解されます。
 正統とは、糸州安恒の自宅系統ではなく、学校系統であることを意味させています。最初に唐手となったのは学校であり、型も学校唐手のために制定されました。別に自宅系統が正統ではないと言うのではなく、より正統的だろうというくらいの意味です。

 首里系で学校系統は、沖縄ではほとんどなく、自宅系統がほとんどです。本土の日本空手協会、泊親会、研修会などがそれですが、空手協会は松濤館流として独自の発達を遂げ、泊親会と研修会だけとなっているようです。

成徳会とは

 成徳会とは、私の母校である佐倉高校の前身が、藩校時代の一名称で、よい響きと思って使いました。金城一門の道場名は、琉球の国是「海邦養秀」にちなんだ名称が多く、私の道場名も、養は陽に通ずるとして、陽真館(真の沖縄空手の道場の意)と、金城先生に命名して頂きました。当時は、道場が六つほど点在していたので、まとめて成徳会と、これは私が命名しました。

 佐倉藩の学校名に因むのなら、集成会と言う案もありました。成徳会の方が語呂がよいと成徳会としましたが、集成会の方が幾分かよかったかと思います。一般に、「空、心、拳、徳、道、武、修・・・」などと言う文字は、独自性を求め難いものです。このような文字を二つも重ねようものなら、同名の空手道場は全国に無数にあるでしょう。

心ならずも独立して

 本会が、日本空手道研修会から独立したのが平成九年、空手戦争の中で誤解があって独立しました。これは三ヶ月ほどで誤解が解けて、結果としては、金城門下でただ独り、独立を許された団体となりました。この時、慌てて付けた名称が「沖縄正統空手道成徳会」で、後から支障が生じました。

 沖縄なら沖縄空手道、沖縄正統と言うなら本土だろうが、「何処の系統か」と煩く問われることになりました。当時はこの名称で勝ちまくっていたので、なんとも閉口でした。金城先生は、系統が日本伝(琉球伝)であるか中国伝(福建武術)あるかを強く意識しておられました。これは沖縄の首里系の人たちはみな同じでしょう。

 しかし、私には、日本本土伝か沖縄伝かと言うことの方が重要でした。それは、空手戦争の中で、私の空手が世間一般と違うと言うことで、空手を知らない素人教師と言う誹謗中傷に晒されていたからで、本土空手と異なる私の空手で、本土空手競技を席巻して見せよう、と言う野望を持っていたからです。

 それで競技では勝ちまくったものの、沖縄正統空手道は、不都合も多かったので、改名したいと金城先生にお願いした。先生は、成功を得て知名度を高めた名前を変えない方が得策と言うご意見だったが、私のたっての願いに、半年がかりで考えて下さったのが、正統唐手成徳会だった。これで、知名度も落とさず、本土空手と異なる学校系統の沖縄空手であることがはっきりするだろう、と言うことになった。以来、沖縄で一度も系統を聞かれたことはない。

沖縄空手にこだわった理由

 私の側からは気付かなかったのだが、悪意からの誹謗中傷だけではなく、どうも私が習った空手は、世間一般とは少し違うようだとは感じていた。そして、これははっきりと、私の方に分があると考えていた。その大きな違いは、組手技術の違いである。具体的には次のようなことだ。

@足裁き(フットワーク)の重視
A相手より先に奏効させる攻撃(間に合う原理)
B攻撃とステップとの関係
C外から内への原則
D相手の呼吸に合わせるコツ

 こんなところが主な相違と思われたし、これで本土の空手競技を制するのはさほど難しくはなさそうだと私は見ていた。本土の先生方が自分たちの誤りを認めないなら、本会の選手たちの平均レベルは、十分他の道場を凌ぐだろうと確信していた。そして、それが予想通りに展開したことは、ご承知の通りである。




posted by admin at 02:46| 紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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