ところが、空手大会に型はつき物で、段審査、その他、もろもろのところで型が出て来る。そして、空手と何の関わりもないにも関わらず、空手の練習と言えば型練習、空手を教えると言えば型を教える。これは大きな過ちだ。かくして空手は、スタイル空手に堕して行く。スタイル空手とは、手順と形を追う空手の事だ。
本会のように、唐手は組手だ、型は唐手ではないと言い続けている道場でさえ、子供たちに練習しろと言えば型を練習する。ここで分かることは、組手から逃げて先生が嫌う型に走る子供はろくでなしだと言える。この観察からも、子育てのあり方、空手の指導法は生まれてくる。
本会では、基本から組手に至る過程は、一貫した方向性を持っていて、それは金城先生に由来している。すなわち金城空手なのだ。ところが型はここから離れたところにある。そこで、如何に型の弊害を減らすか、と言うところに指導法の工夫がある。
平安二段と五段
本会では通常は、平安二段(松濤館の初段)中心である。それに五段をを加える。ここで、唐手には反する型競技が指導される。上級者には糸東流の第一指定型を課す。
型と組手は、技術的には正反対でも、習う側の意識としては同じである。真面目に真剣に学ばねばならない。
@型も満足に出来ないようでは組手は覚束ない
A型で勝てても組手で勝てなければ問題外だ
と言うことから、型は真剣に学ばなければ叱られるし、型で少々上達しても、組手に上達しなければ、型なんか巧く出来ても話しにならない、と叱られる。と言うことで、この辺りは他の道場より厳しいかも知れない。
そして、黒帯に対しては、道場では型は教えないし、そのような時間はない。競技で勝ちたければ、ビデオなり何なりで練習して来い。練習して来れば教えるぞ。と言うことになっている。そこで、競技会で覚えたり、ビデオで覚えた様々な型が登場することになる。
「型は手から習え。」(本やビデオは駄目)
と言うような固いことは言わない。むしろ逆に奨励する。私は型など相手にしていないし、そんなものを教えている時間の余裕もない。
型競技の基本は、平安二段と五段
これは本会の場合である。そこで最初の一年くらいは徹底して平安二段、その後、平安五段である。型競技の基本はこれで終りで、後は本人の努力次第と言うことである。ただ、和道流と松濤館流の型はやらせない。基本が違うからである。
唐手の型では
基本から型を通して組手に至る過程での型は、型競技とは全く違う。ここで採用するのは、平安二段とナイファンチ初段である。この二つ以外は行なわない。
首里手の基本と言えば、ナイファンチと松村のパッサイ(バッサイではないっ!)である。本会では採用しない。ナイファンチもそうだが、松村のパッサイとともに、取手の基本が含まれている。だから基本なのだ。
が、取手は金城空手の真骨頂(私はこれで先生から痛められた)であり、格闘技法ではあっても、現代競技には取手はない。子育て空手に重点を置く成徳会では、競技組手に徹しているの取手は不要だ。そこで松村のパッサイは外してある。大人の遊びなら、松村のパッサイは最高に面白い。
平安二段では主として追い突きを、ナイファンチ初段では主として前手突きを習う。そして二つの型から出て来る考え方を使って、巻き藁練習を行なう。唐手にない技も、この考え方から導くことになる。
このようにして、型競技のためには、平安二段と五段、組手競技のためには平安二段とナイファンチ初段を学ぶことになる。
型で習うことは
平安二段やナイファンチ初段で行なう組手練習と言うのが一般には理解されないらしい。そこで、具体例を引いてこれw説明しよう。
工事中
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