本会は独立会派だが、金城門下を称していて、同じ金城門下である日本空手道研修会とは、しばしば一緒に行動する。もともと仲間だし兄弟会派と言うことで、成徳会は、研修会内の一会派の様相を呈している。これは成徳会が公式に独立を許されたからで、それには、中村 孝現会長、故八田 浩常任理事のお力添えと、金城先生のご好意によるものである。
研修会赤門道場は成徳会と一体
元々、赤門道場の中村先生と私は親友の関係である。それが空手戦争で、全面的に私を支援して頂くことになった。私が苦境にあったとき、私を支え続けてくれたのが、研修会の金城、中村、八田の三先生方だった。
そこへ、私がある道場を持っていては、それが敵側からの攻撃の標的となって、持ち堪えられない事態となった。この時は、空手戦争で、二道場を閉鎖し、謀反側を追い出して一道場を分割、さらに、一道場を格下げして、競技力を低下させると言う犠牲を払っていた。敵は、県連盟をはじめ、幾つかの市連盟、門下の指導者や保護者、さらには地方政治家にまで及び、多勢に無勢で、戦線が広くては支えきれない。
これが、道場の閉鎖や縮小を続けた理由である。形勢が傾けば足元からも寝返りが続出するし、そうでなくても、門下の非協力、見て見ぬふり、他人事指向は頂点に達していた。ここでさらに一道場を放棄することとした。
放棄する道場を研修会へ
どうせ放棄するなら、活用の方法はないかと、少し気が引けたが、甘えついでに仲村先生に相談してみた。
「私の一道場を研修会で引き取って貰えないか・・・。」
不安をよそに中村先生は快諾してくれた。金城先生もそれがよいと支持して下さった。そこで一道場を研修会に移管して、戦線を縮小できた。結局、会員数は最終的には半減したが、内部からの謀反が激減したので、防衛は楽になった。
東京都武蔵野支部へ
武蔵野支部は、中村先生の赤門道場が主力である。研修会へ移管した道場は、赤門道場の主力となった。それなら本会も赤門道場と一緒にやろうかと言うことになり、中村先生もそれがよいと言うことで、成徳会と研修会赤門道場が徐々に一体化し始めた。
長年の基盤もあり、私が、空手戦争で他所から攻撃されることは、門下にとっても保護者にとっても、内心では喜ばしいことである。それが、攻撃を受けなくなる赤門道場との一体化、武蔵野支部への移籍は、敵側は言うまでもなく、空手戦争で揉まれた門下の指導者にとっても、保護者にとっても、好ましいことではない。
ここで様子を見ながら、徐々に移籍と言う方法を採ったのだが、これは失敗だった。一挙にやって、従わないものを大量に除名処分をすべきだった。その方が威力があったろうし、簡単に全て終了したろうと思う。この後、平成15年まで、謀反、離脱が後を絶たず、平成17年になっても、謀反側選手が、全日本選手権、国体、インターハイ、全中などで活躍している。ただ、平成16年以後は、謀反も離脱もなく、この二年間は落ち着いている。
ともあれ、このような次第で、成徳会と赤門道場は一体化して、その頂点にいるのが中村研修会会長、そして最高師範が成徳会会長の私と言う構図である。
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